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  • 김기영 감독의 [하녀] 감상문
    「下女」の感想文1960年代キム・ギヨン監督の作品であるこの映画は当時の時想を赤裸々に見せている。この映画での印象的なシーンは最初のオープニングで二人の子供が綾取りをしている姿をほぼ3~4分ぐらい見せているシーンで、これからのストーリの展開や登場人物の間の解けない関係性を含蓄的に見せている。綾取りのように解けれるように見えるのに解けようとしたらするほどどんどん迷宮の中に落ちてしまい、結局きるしかないと言うことを暗示している。さらに子供たちがそういう行為を行うのも、彼らも成長したら大人たちと同じようになるしかない悪循環も暗示されている。セットの中の空間だけみても監督の持つ意図が丸見える。廊下、階段、ピアノ部屋、各層の部屋、台所、ベランダなど、それぞれの空間はお互いの有機的関係を持っているだろう。台所は対立関係の女性たちの黒い空間である。下女と妻はここで戸棚の中の猫いらずを通じて相手に危害を加えようとする心理の変化を見せる。猫いらずは当時の時代増を表現する媒介であり、60年代の猫いらずは国民全体で愛用されていて階級間の差を解消した平等のシンボルでありながら、死の恐れを呼び出すものでもあった。廊下と言う場所は各人物の苦痛の空間として、苦しみながらも結局くるのも苦しみしかないと傷つく。主人公キム・ドンシクは工場で音楽を教える先生であり作曲家である。キムは妻、足が不便な娘、息子と幸せな家庭で過ごしている。しかし一人の下女が来たときから、家庭もこの映画も黒く恐らくなり始める。暗い照明と激動的なカメラウォークがそれをよく表現している。キムは妻に隠して下女と不倫関係を持ってしまい、下女は彼に継続な情事を求める。実はこういう素材はとこでもある話であるし、実際監督も新聞記事から着眼したと言う。この映画は課長を所有しようとし性を利用する下女と、自分の家族を守ろうとする妻の間での生死にかかっている葛藤と戦いである。夫婦は隣にこういう噂が広がるのが怖くて下女の生意気な態度にちゃんと対応できなくなる。悪魔のような下条の憎悪もどんどん強くなる。結局妻は猫いらずで下女を殺そうとするが、それに気づいた下女が先にそれを使って息子を殺してしまう。この映画は1960年にしかも韓国で作られたとは思えないくらいの驚きを散々含めている。映画が終わった後「家に若い下女を雇用したのこそが’虎の口の生肉’」だと笑いながら観客に向いて言った主人公の姿がずっと記憶に残っていた。彼はどんどん我々に近づいて、我々の目を見ながら子の映画の校訓を要約してくれる。『皆さん、男は年を取れば取るほど若い女を考える時間が増えるものです。だから、女に食いつけられる可能性が高くなって、時には全てをなくす場合もあります。ははは。先生も、そんなに違うと否定してる先生も同じものですよ』。人差し指で観客を指したりウィンクもしながら、直接自分のメッセージを伝えていた彼の姿はまるでショックだった。公益映画を観たような感じだった。カメラに向いての役者の凝視は劇映画の形式が固まったからはハリウットで60年近く守られてきた一番のタブーであり、今までもずっと守られているルールである。すなわち、全てのハリウット映画の中で役者の視線は絶対に露出されてはいけない神聖な装置でスクリーンの中の全ての生き物は観客とは徹底に孤立されている世界にとどまっていなければならない。正直こういう風の映画を観たのは初めてだったので、最後の反転のシーンは大変大きなショックだった。始めのところでピアノの音と一緒に姉と弟の終わりのないような綾取りが我々に魔法をかけたのではないかと思った。映画のタイトルであった「下女」も結構新鮮だった。現時代の映画のタイトルとしては合わないようなタイトルで、古いにおいがしながらもそのなんとなくの皮肉さが慣れてないものへ好奇心を呼び出したのだ。その単語だけを見ると男性の所有物としての女性のイメージで、1960年代の下女を持つことができる家は結構経済的に余裕のある家庭では普通のことだった。中産層の人々は若干の金を払うことでより便利な生活をすることになり、多少の優越感も持っていたはずだ。キム・ギヨン監督が「下女」をタイトルとした選んだ理由はその単語が社会の時代を表現し、エロチシズムで、古典的な恐怖を端的に見せるからではないかと思った。
    독후감/창작| 2010.07.14| 2페이지| 1,500원| 조회(226)
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  • 현대미디어사회의 감옥화현상(파놉티콘)
    現代社会における監獄化現象―パノプティコン化人間を身体と精神で分けることが絶対的に正しいとは言えなくとも、取り敢えずそう分けられると仮定してみよう。その2つの中で人間の本当の姿はどっちだろう。精神と身体、本物の自分は何だろう。教科書的な回答は精神だ。人間は理性を持っている存在であるので理性を調整する精神が本物の自分である。しかし、教科書というものは結構非現実的なことを言っているので、もう1回考えてみると、そうでもない。身体は一種の無意識なので、意識である精神は無意識である身体を軽蔑する。が、意識は無意識に囲まれてからこそ存在しているものなので、身体のない精神はありえない話だ。誰でもただ本能に充実している身体を本当の自分だとは認めたくないと思うが、残念ながら現実では身体が精神を圧倒する。例えば、他人と魂が変われたとしても、自分の親はその他人のほうが自分の子どもだと固く信じるはずだ。身体と自我の同一化現象は、現代社会に入ってからもっと強化されている。犯罪を犯した記憶がなくても自分の指紋が現場に残されていたら、やみやみと犯人扱いになるしかない。最近は指紋だけではなく瞳を利用する身分の確認方法も導入され、これからはDNA番号を使って身分証明をする時代が来るかもしれない。このように身体が人間の主体としての立場になった傾向に力をもらい、身体における権力の重要性も高まっている。ミシェル=プコはそれを「生体権力」と呼び、犯罪者の処罰方式の変化過程を分析した。君主制時代の処罰は残酷だった。これは犯罪への報復でありながらまた、民衆に恐怖を持たせるためでもあった。しかし18世紀から、処罰はただの訓育になる。近代理性文明が確立された時期だったので、ヒューマニズムに基づいた‘犯罪者も人間’という考え方が出演したからだ。殺す代わりに監視するシステムが発達したのもこの頃である。公理主義を主張した「ベンダム」は四方の監視が出来る「パノプティコン」という円形の監獄を提案し、監獄改善の先駆者として名を残した。しかしパノプティコンはただの監獄ではなく完璧な監視社会を代弁する。真ん中には高い塔があって回りは円形になっている建物。それぞれの部屋には塔に向いている窓があって、いつも塔の監視を受ける形になっている。これは非人客的な監視を表す。人間ではなく監視体制自体が監視を担当しているため、囚人たちはいつ自分が監視されているかを知らない。彼らはこういう監視下で規則的に生活しながら教化という名の訓練を受けないとならないのだ。このような方式が犯罪者だけではなく社会一般に広がって、人間はが訓練され改造されるという「モデル化」された人間の概念が生まれるようになった。個人の規範的な判断を統制し、個人の生涯を理性で決めた「正常性の基準」に合わせるのだ。プコはこれを「規律権力」と呼んだ。前近代の君主権力は全ての人が一人を仰ぎ見る視線が特徴だったことに比べて、近代の規律権力は一人の権力者が全ての人を監視する視線が特徴である。すなわち、監視社会の登場だ。監視の目的は単純に個人を規制するだけではなく、理性の規範に同日化させてから権力に従う順応的な人間をつくることにある。しかも、現代社会で生体権力のメカニズムが動く方式はもう物理力による強制ではなくなった。「権力の強制は物理的かもしれないが、必ずしもそうではない。生体権力は計算され組織化され技術的に行使される。」とプコは言った。地上にある自動車の番号まで見れる人工衛星が地球を囲んでいる現今、もしかしたら世界中が円形監獄なのかも知れない。漫画の「デズノート」を見ると名前を書くだけで人殺しが来るノートが登場する。ノートを持っている主人公は新しい世界の神になるという目標を立て、全世界の犯罪者たちを審判する。法律から避けて行った犯罪者すらデスノーとに名前がかかられ殺される現状がどんどん起こったら、大衆の中では「誰か」が世界を審判するという認識が広まる。最初は望ましいことだと思ったが、逆に自分が審判されるかもしれない恐怖感でどんどん規律を内面化し自らを監視することになる。私はこの漫画を思い出して、まるでパノプティコンみたいだと思った。看守と囚人の間には大きな情報力の差が存在する。パノプティコンの看守が自分の行動範囲などをまったく後悔しない事と同じく、デスノーとの主人公も自分を公開しない。監視者と悲観支社の情報力が一緒なら権力の差も生まれなかったはずだ。パノプティコンの中央が公開された形だったらそれ以上看守は絶対的な統制力を守れなかったはずだ。もうひとつ面白いのは、主人公がメディアを通じて犯罪者の情報を得る過程だ。テレビ・新聞・インターネットでの事件の情報を見て必要なことを収得出来たのだ。これは現代社会の「電子監視」と同じパタンである。勿論、国家が個人を監視する時はより詳しい方法を使うはずだが、もう我々が認知している範囲の中でも充分な監視が出来るということだろう。パノプティコンは囚人の教化を目指して設計された円形監獄だが、設計者のベンダムは、実は工場・学校・病院・軍隊が構造的に監獄と同じなので全部に使われると主張した。視線の非対称によって一人または少数を多数が監視するスペクトルの構造を作ったと観たのだ。実際その構造は数百年が過ぎた今でも有効に役を果たしている。最初ベンダムがパノプティコンを話した時代に比べ、巨大な技術進歩を経験した現代の人類はさらにパノプティコンの構造に進化を起こせた。そしてその進化により我々のプライベートもまったく新しい形になり始めている。もう我々の生活に秘密はほとんど存在しない。携帯の電話番号やメールアドレスが流れでされ迷惑メールや電話が来たりするくらい、守られてないし守ることも難しい事になっている。最近中国のインターネット関連ニュースを見てとてもびっくりした記憶がある。中国のインターネットは 金盾(ジンドゥン)という名の最先端のフィルタリングシステムを利用し、ネット利用者の全てを監視することで国に反対する反体制的な人々を選別することが出来るらしい。どんどん街中のCCTVは増加し、我々の個人情報もどんどん誰かに知られ、イーメールの受信箱はスパムメールで溢れる。このような電子監視が一般化されてもっと進化してからもうちょっと時間がたっだらどうなるだろう。いの間にかまた監視されていることを皆が忘れてしまった時、電子回路の塊の向こう側では必ず誰かがにっこり笑いながら、人々を眺めているかもしれない。
    인문/어학| 2010.07.14| 3페이지| 2,500원| 조회(170)
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  • [일어레포트] 일본어 레포트 `지킬박사와 하이드` 감상문 평가A좋아요
    大衆小説論2 期末レポート-「ジキル博士とハイド氏」感想「ジキル博士とハイド氏」という作品は特に説明する必要もないくらい有名な小説である。しかしその知名度のおかげで、大体のストーリは知っており、むしろ呼んだことはなかった。私の母国である韓国では、最近この作品がミュージカル化され成功を収めたこともあり、流行のようにオリジナル作品のブームがあった。そのミュージカルさえ観た事がなかったが、今回「大衆小説論2」の授業の参考文献にリスト化されているのを見て、今こそこの作品をちゃんと読んでみるきっかけだと強く感じ早速読み始めたのである。一言で表現すると、「ジキル博士が薬を飲んで悪人のハイドに変身する」ストーリに過ぎなかったこの作品は、本客的に読んでみるとただそれだけの内容ではなかった。一枚一枚をゆっくり読みながら、今まで知らなかったもっと重要な部分が見えたのだ。今からこの作品について、主に「善と悪」を中心に話してみたい。‘ジキルは善でハイドは悪だ’と早速結論を出してしまうと良いだろうか?既に言った通り、この作品には隠れていることが多すぎるので、そういうの結論は大変大きな間違いだと思う。小説に最初に登場する人物はジキルでもハイドでもなく、アターソンという人だ。作家は彼の視線からほとんどうの事件を眺めている。ストーリは、アターソンが知人であるエンフィールドからハイドの話を聞くシーンから始まる。エンフィールドの表現によると、ハイドは純粋に悪だけで構成されている塊のような‘悪人’だ。親友であるジキル博士の遺言状にハイドの名前が書かれてたことを覚えていた弁護士のアターソンはその話が気になり、ジキルを訪れることにする。しかし、ジキルは真実を教えてくれないままハイドを弁護しようとしかしない。その数日後、下院委員の殺人事件が発生する。犯人はハイドで、目撃者のメイドによるとハイドは「気ちがいのオランウータンみたいに」老紳士の上に乗り立ち、鈍器(杖)で彼をめったやたらに殴ったと証言した。とても残酷な現場だった。警察と一緒にハイドの家へ行ってアターソンは、ハイドが使った杖の欠片(昔自分がジキルにプレゼントしたもの)を見つかり、ハイドは集配者になる。その後アターソンは再びジキルを会いに行く。執事から案内された部屋は大変うっとうしい空間だった。ジキルはとても不安そうな態度を見せる。そしてハイドから送られてきた、自分は無事であり大変申し訳ないと書かれている手紙をアターソンに見せる。しかし、アターソンが家を出るとき執事に尋ねると、手紙が送られてきたことはなかったと聞き、話はミステリオスになる。もっと驚くべき点は、アターソンが自分の事務主任にハイドの字を見せた結果、この書体はどう見ても気ちがいのものではない上、しかもジキルの書体と似ているという事実だった。様々なミステリを残した事件の後時間は過ぎ、行方をくらましたハイドのことは忘れたようにジキルは平穏な時間を過ごす。学問的な意見の違いで仲悪くなった元友達のラニョンとも仲直したり、色々な所に出かけたりする姿を見せたのだ。しかし、ある日また部屋に引きこもり、誰とも会わない生活に戻ってしまる。心配になったアターソンがラニョンの家に行ってみると、そこには恐怖に襲われて死に掛けているラニョンがいた。彼はとても強いショックを受けたよな顔ですぐ死んでしまった。ラニョンがアターソンに残した手紙には「ジキル博士が死ぬか行方不明になるまでは開けるな」と書かれていて、さらにアターソンは混乱を感じる。その後、ハイドの家(ジキルの家との通路があった)に訪れ、絶望的な恐怖を必死に隠しているジキルに出会い、アターソンの不安はもっと強くなる。しかもジキルの執事から、最近ジキルの密室が何だかおかしいのだが、多分ジキルはもうハイドに殺され、密室にいる者はハイドかもしれないと言う推測を聞き、アターソンは執事と一緒に密室のドアを壊して中に入る。そこにはハイドが死んでいた。自殺だった。不思議な事件はハイドの死で終わるように見えたが、密室に残されていた手紙が発見され、アターソンはラニョンの手紙とジキルの手紙を読み始まる。ラニョンの手紙によるとハイドとジキルは同一人物で、彼が自分の目の前で変身したと言う。ジキルの手紙には自分が今まで犯した罪と二重人客の生活の告白が書いていた。ジキルは科学者として研究を重ね意識の世界への秘密に近づいて、人間は完全な両面性をもっていて、それを二つに分ける方法を研究しながら快感を感じた。継続的な研究で結局薬を発明し、自らその薬を飲みハイドというもう一つの自分を誕生させる。最初はただ楽しめる意図であったが、時間がたったらたつほど彼の良心は鈍化した。ハイドの悪行は自分が犯したのではないと考えてしまう自分が怖くなったジキルは、二つの自我の中で一つを捨てないといけないと思い始め、ジキルを選んだのだ。しかし、内面の緊張がゆるくなった瞬間、ハイドは勝手に登場し思いっきり活動した。ジキルとしての自我はどんどん弱くなり、ハイドの自我に侵食させるようになってしまったのだ。結局最後の薬を飲んでやっとジキルに戻ったあと、彼はアターソンに手紙を書いて自殺したのである。善と悪の二分法的考え、その中に内在している善の美化と悪への恐怖と無視。ひょっとするとそれらはただの固定観念の一つであるかもしれない。確かに、快楽を最優先にして行動するのが全部悪だとは言えないのだが、快楽の追求は自己中心の考えにつながり、他人への迷惑になる可能性がより高いのも事実だ。思い通り自由に行動することは、甘い快楽とともに相当の危険性を持っている。例えば倫理的な混乱を引き起こし集団生活をしている人間社会の維持さえ危険になることだ。だから長い昔からそういう危険性のある行為は「悪いこと」に固定化され、社会の構成員なら避けるべきだと思いさせるために、恐らく、醜く描かれてきたのだ。作品の中で特に興味深かった内容はジキルがどんどんハイドんの悪に染まり始めてきたことであった。ただの好奇心からの行為にいつの間にか中毒され、薬を飲まなくてもハイド、すなわち悪になってしまったのだ。どうして「悪」というものはこんなに魅力的であるだろう。他人のことや後のことは無視してただ今の快楽のために自由になれたいという考えは、誰の中にも存在している小さな悪の一部かもしれない。例えばレポートを書いているうち、眠いから横になりたいと思ったり、試験勉強なんてやめてカラオケでも行きたいと思う衝動などもある意味では小さな悪からの誘惑であるだろう。しかし、私が今レポートを書いてる行為をやめろうとしていないように、人間には我慢ができる動物なのだ。元々「悪」、「やってはいけない事」、「悪いこと」という概念が存在しているのは我々がそれらに勝てる能力を持っているからではないだろうか。それは悪を「悪い」と感知するセンサー、良心という名の能力であろう。最初、ジキルはハイドに変身するために大量の薬を必要とした。ここで薬は良心を麻痺させ悪を呼び出す役割をする。そしてジキルの良心が鈍れば鈍るほど、薬なしでもいつでもハイドになることができた。嘘をつくことも最初は難しくてもやればやるほど簡単になるという。悪が普通になると世の中は混乱に襲われ、無法地帯になってしまうはずだ。良心は悪を防止するためのブレーキであるが、一回壊れたら悪の疾走は無敵になってしまうことがジキルの姿を見ながら分かった。もし、こういう話が現実世界でも起こるとしたら、想像するだけでも恐ろしくなる。善と悪は離れられない関係でもあり、昔から飽きるほど学んでいるテーマでもある。私はこの作品を読んで、ある意味では単純である意味では永遠のなぞであるその二つの概念について考えてみた。ジキルとハイドの人格は二つだったが、結局一つのRoots、すなわちジキルから出たもので、それが完全に二つだったとは限れないのかもしれない。だから、本当に人間は善と悪だけで構成されているのだろうかという疑問が生じたんのだ。ジキルも言ったように善と悪をはっきり区分することは大変難しく、その間には数多い自我が存在するのではないだろうか。その人間がどういう風に生活するかによって、善であるジキルにも悪であるハイドにも(勿論その間に存在している数多い人格にも)なれると思った。善と悪の区別は結論を出しづらい問題でありながら無意味なことかもしれない。しかしこの作品で分けられている二つの概念の描写、特に悪のほうはすごかったと思う。まるで自分の中に徹底に隠されていた悪の本能が出されて暴れている姿を自分の目で観察しているような気持ちだった。「ジキル博士とハイド氏」という作品が悪の恐ろしい姿を思いっきり見せようとした理由、すなわち読者に言いたかったことも同じではないかと思った。「人間は誰でも悪魔になれる。」他のホラー作品もほぼ同じだと思うが、悪が持っている荷が甘い魅力とその誘惑から必死に善を守ろうとする長い歴史の戦いの印として、「悪魔的な存在」すなわち「怪物」という存在が誕生され今でも文学や映画作品などに登場し、我々に警告を発しているのではないかと考えてみる。
    독후감/창작| 2010.07.14| 3페이지| 1,500원| 조회(216)
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  • 주홍글씨 일부 내용요약 평가B괜찮아요
    헤스터는 그녀의 어린아이의 이름을 '펄'이라고 지어주었다. 그리고 그 아이를 자신의 진주라고 불렀다. 그 의미는 아이의 용모가 진주같이 고요하고 해맑다기보다는 그 아이가 자신의 모든 것을 희생하여 얻은 대가이며 그녀의 하나뿐인 보물이라는 뜻이었다. 사람들로부터 동 떨어져서 외로이 생활하는 헤스터에게는 그녀와 같은 죄를 지닌 사람이 아니고서는 누구도 동정의 손길을 뻗어 주지 않았지만 어린 펄은 그녀에게 단 하나뿐인 위안이며 기쁨이 되어주고 있었다. 하지만 헤스터는 혹시 아기가 태어나게된 죄의 배경과 관련 지어진 어둠이나 광적인 면모가 펄에게 숨어있지는 않을까 늘 염려하는 마음도 함께 지니고 있었다. 그러나 아기는 단 하나의 육체적 결함조차 없이 완전한 육체와 혈기 그리고 어머니로부터 물려받은 듯한 매력을 갖추고 있었으며 헤스터가 어떤 병적인 의도로 자신이 구할 수 있는 가장 화려한 옷감을 이용하고 최대의 솜씨를 발휘해서 만드는 옷들 덕분에 조물주의 걸작품인 듯 돋보이는 아름다움을 내뿜어 내고있었다. 펄의 모습에는 변화무쌍하여 들꽃 같은 아름다움에서부터 공주 같은 화려함까지 내포되어 있었지만 특별히 정열과 깊이 있는 색조만은 언제나 가시지 않고 남아있었다. 펄이 지니고 태어난 다양하고 깊이를 지닌 천성은 자신이 살아가게 될 세상과 함께 호흡하려는 마음이 없었다. 그가 세상에 태어남으로서 이미 커다란 법칙 하나가 깨어졌기 때문에 펄에게 순순히 규칙을 따르게 할 수는 없었을 테고, 그 결과 아기의 겉모습은 찬란하게 아름다웠을지 모르지만 질서는 잡혀있지 않았던 것이다. 헤스터는 펄을 뱃속에 가지고 있을 적의 상황을 상기하며 막연하고 불완전하지만 겨우 펄의 성격을 파악할 수가 있었다. 본래는 하얗고 맑았으나 점차 주홍빛과 황금빛 물이 들면서 광채나 그림자나 거친 빛이 서리게 된 것이었다. 이는 그 무렵의 헤스터 자신의 정신적인 갈등이 펄에게 옮겨진 것으로 아기의 밝은 모습 속에서 이러한 어두운 모습들이 드러날 때면 곧 적잖은 광풍과 회오리바람이 일어날지도 모른다는 생각이 들었다. 당시의 가정교육이란 종교적이면서도 엄한 것이었는데 헤스터는 이런 것을 남용하지 않고 자상한 가운데서 엄하게 펄을 키우려고 노력했고, 때로는 미소도 지어보고 찌푸려 보기도 하였다. 그러나 펄에게는 그 어떠한 것도 소용이 없었으며 펄이 어렸을 때부터 지어 보이는 유별난 표정 속에 묻어나는 종잡을 수 없는 고집과 때때로 드러나는 악의에 헤스터는 그녀가 인간이 자식이 아닌지를 의심하고 혹시 요정이지는 않을까, 허공으로 사라져 버리지는 않을까라는 생각에 불안해 할 뿐이었다. 펄은 때때로 흐느끼면서 어머니에 대한 애정을 고백하기도 했지만 마치 바람같이 곧 사라질지 모르는 감정처럼 느껴졌다. 진정한 마음의 평안을 느끼며 펄이 자신의 아이라고 느껴지는 시간은 펄이 고이 잠들어 있는 순간밖에 없었다. 태어나면서부터 외톨이가 되어 세례 받은 아이들과 놀 수 없다는 운명, 즉 다른 아이들과 자신이 다르다는 사실을 직관적으로 알고있던 펄은 자신을 둘러싸거나 놀리는 아이들에게 오히려 돌을 던지고 날카로운 소리를 내지르며 쫓아버리곤 했는데 헤스터에게는 그것이 마녀의 저주하는 소리같이 들려서 몸서리가 처지는 것이었다. 청교도의 아이들은 헤스터와 펄 모녀의 유별난 모습을 발견하여 욕설을 퍼부었고 그런 눈치를 알아챈 펄은 사무치는 증오심과 분노로 대응했다. 그 속에는 펄이 평소에 보여주는 변덕과는 다른 진지함이 엿보였으므로 일종의 위안이 느껴지기도 했지만 그 모습에 일찍이 자신이 지니고 있던 죄악의 그림자가 나타나 있었기 때문에 오싹해지기도 했다. 펄은 여러 가지 사물이나 자연을 벗삼아서 홀로 놀았다. 그에게는 함께 놀 수 있는 친구가 없었기 때문에 자신의 상상력을 이용해서 이야기 상대를 창조해내야 했던 것이다. 그러나 이러한 창조물들에게조차 펄은 적의를 가지고 대했다. 앞으로 살아감에 있어서 끊임없이 받게될 멸시에 대해서 투쟁할 힘을 기르려는 듯한 그런 모습이 또한 자기 때문이라고 느끼는 헤스터는 말로 형언할 수 없는 슬픔을 느끼는 것이었다. 펄이 세상에 태어나서 처음으로 본 것은 어머니의 미소가 아닌 헤스터의 가슴에 붙어있는 주홍글씨였다. 그가 아직 아기일 적에 반짝이는 금실이 신기해서였는지 그 주홍글씨를 움켜지고 떼어내려 하며 미소를 띄우던 것을 시작으로 이따금 펄은 그 표시를 바라보며 야릇한 표정을 지어 보였다. 그리고 어느새 뛰어다닐 만큼 자란 어느 여름날 오후, 펄은 들꽃을 따서는 헤스터의 주홍글씨에 맞추며 놀고있었는데 헤스터는 그 행위를 막으려는 충동을 억누르며 명중하는 들꽃의 수만큼 가슴속에 상처를 쌓아가고 있었다. '너는 정말 엄마의 아기지?' '너는 엄마의 아기가 아니야. 너를 누가 보내주었지?' 불안에 못 이겨 헤스터가 물을 때면 펄은 작은 악마처럼 장난스럽게 헤스터의 주홍글씨를 가리키며 자신을 보내준 것은 하나님이 아니라고 외치고는 깔깔대며 뛰어다니곤 했다. 이웃 사람들은 펄의 괴팍한 성미를 보고는 악마의 자식이 아니냐고 쑥덕거렸다.헤스터와 펄은 벨링검 장관의 저택으로 향하고 있었다. 눈부시도록 아름다운 외모의 펄은 화려한 진홍빛 비로도 옷을 입고있어서 마치 작은 불꽃같은 인상을 주었는데 사람들에게는 그가 생명을 지니고 살아있는 주홍글씨처럼 생각되어졌다. 헤스터는 펄에게 화려한 주홍빛 옷을 입혀서 펄이 자신의 사랑의 대상인 동시에 죄의 표적임을 함께 표현해내고자 했던 것이다. 헤스터는 장관의 주문을 받아 수를 놓고 술을 단 장갑을 들고 저택의 문을 두드렸다. 하지만 사실 장갑은 구실에 불과했고, 실제로는 몇몇 지도자들이 헤스터와 펄을 떼어놓으려 한다는 소문을 듣고 그 결정에 반박하기 위해 찾아간 것이었다. 그 지도자들은 악마의 자식이라고 손가락질 받는 펄을 도덕적으로나 종교적으로나 성장시키고 헤스터에게는 장애물을 제거해 주려한다는 명분을 내세우고있었다. 문을 두드리자 그 댁의 종이 나와서는 목사님 두 분과 의사선생님이 와 계시므로 장관과의 만남이 곤란하다고 말했다. 그러나 헤스터는 도도한 태도로 꼭 만나봐야 한다며 현관을 막무가내로 들어섰고, 이러한 모습과 낯선 주홍글씨를 보고 그녀를 지방의 귀부인으로 오인한 종은 더 이상 막지 않았다. 그들은 저택 안을 둘러보고 있었는데 장식품중 하나인 갑옷이 볼록렌즈 작용을 하여 헤스터의 주홍글씨가 유독 불거져 보이는 것을 보고 펄은 장난을 치며 몹시 기뻐하는 내색을 보였다. 이 모습이 마치 마귀 새끼의 모습 같다는 생각이 들어 섬뜻해진 헤스터가 펄을 이끌고 정원 쪽으로 나가서 꽃을 구경하자며 걸음을 옮겼을 때 장관 일행이 나타났다. 찔레꽃을 꺾어달라고 조르다가 울음을 터뜨렸던 펄도 낯선 사람들을 보고는 울음을 멈추었다.근엄한 모습의 벨링검 장관, 자비롭고 인정이 많으나 죄지은 자를 꾸짖는데는 한없이 엄격한 윌슨 목사, 젊은 아더 딤즈데일 목사 그리고 의사인 로저 칠링워드 노인이 집안으로 들어오고 있었다. 그들은 커튼의 가려진 헤스터의 모습을 보지 못하고 진홍색으로 가득한 펄의 모습만을 보고는 놀란 표정으로 너는 누구냐며 질문을 퍼붓기 시작했다. 펄은 '나는 우리 엄마의 아기예요.'라고 대답했다. 그때 헤스터의 모습이 보였으므로 그들은 의논하던 문제에 대한 이야기를 계속하며 헤스터에게 펄과 떨어져서 사는 것이 어떻겠냐고 물었다. 헤스터는 다부진 태도로 주홍글씨로부터 배운 것을 아이에게 가르치겠으며 그 표적은 치욕의 표시라기보다는 자신에게 교훈을 주며 매일매일 새로운 것을 깨닫게 하는 표시라고 주장했다. 그러자 그들은 펄이 기독교적인 가정교육을 받았는가 여부를 확인하기 위해서 펄에게 너를 만들어준 것은 누구냐고 물었다. 그 질문은 일찍이 헤스터가 펄에게 수 차례 가르쳐준 지식 중에 포함된 것이었으나 심술이 솟아난 펄은 몇 번이고 대답을 하지 않다가 자기는 감옥 문 앞에 자라난 찔레 덤불 속에서 어머니가 따온 것이라고 말했다. 이 당돌한 대답에 장관은 결심을 굳힌 듯 아이가 타락할 때로 타락했다고 기가 막힌 듯이 한탄했다. 그러나 헤스터는 펄을 힘껏 끌어안으면서 매서운 표정으로 '이 아이는 하나님이 내게 주신 것이며 모든 것을 잃은 대신 얻은 보상'이라고 부르짖었다. 그리고는 어떠한 충동을 느낀 듯이 한번도 시선을 돌린 적이 없었던 딤즈데일 목사를 바라보며 그녀의 담당 목사였던 그에게 도움을 줄 것을 호소했다. 그러자 목사는 창백한 얼굴로 가슴에 손을 얹은 채 앞으로 나아가며 헤스터의 하나뿐인 축복인 아이를 빼앗아서는 안되며 그 둘을 떨어뜨려 놓는 것이 오히려 더 깊은 죄의 구렁텅이로 빠뜨리는 일일지도 모른다며 그냥 그들을 내버려두는 것이 좋을 것이라고 말했다. 그러자 장관과 목사는 고개를 끄덕이며 그의 말이 옳다고 인정하고는 펄이 정기적인 교리 문답 시험을 치르고 적당한 시기에 학교에 보낸다는 조건하에 헤스터와 펄을 함께 있게 하기로 결정해 주었다. 그러자 딤즈데일 목사는 몇 걸음 물러나서 커튼에 몸을 가리운 채 서 있었는데 갑작스럽게 펄이 그의 손을 잡고 다정스럽게 애정 표현을 하기 시작했다. 그 모습이 너무 자연스러워서 헤스터는 소름이 돋을 지경이었다. 펄은 자연스럽게 딤즈데일에게 어버이의 감정을 느꼈던 것이었으므로 순간적이나마 순진한 어린아이의 모습으로 행동했던 것이었다. 일이 잘 풀려 다시 집으로 돌아가게 되었을 때 장관의 성격 나쁜 여동생인 히빈스 부인이 헤스터를 불렀다. 그녀는 몇 해 후에 마녀라는 죄목으로 처형된 사람이었는데 헤스터에게 밤에 열리는 숲의 집회에 함께 가지 않겠냐는 제의를 해왔다. 이 모임은 타락한 사람들이 모여 비밀스레 악마를 숭배하는 이단 모임이었다. 그러나 승리의 기쁨에 가득 차 있는 헤스터는 미소를 지으며 정중하게 거절하고 저택을 떠났다. 만약 펄을 잃게되었다면 그 모임에 참여했을지도 모른다는 생각을 하면서.. 이로써 펄은 이미 그녀의 어머니를 한번 마수에서 구해낸 셈이었다.
    인문/어학| 2002.06.10| 4페이지| 1,000원| 조회(692)
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